インドネシアのホモ・サピエンス
ヒト科ヒト属の誕生
人類(ヒト科)はおよそ500万年昔、東アフリカ大地溝帯で、他の類人猿(ゴリラなど)から分かれて誕生しました。
最初に登場したヒト科の生き物は、猿にそっくりだけれどもしっかりと直立二足歩行するアウストラロピテクス属(猿人)でした。
アウストラロピテクス(猿人)には次の3種があります。
- アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)……最初の猿人。体はきゃしゃ。アフリカヌス猿人とロブストゥス猿人に進化。
- アウストラロピテクス・アフリカヌス(アフリカヌス猿人)……アファール猿人の進化型。体はやや大きく石器(礫器)を使う。原人へ進化。
- アウストラロピテクス・ロブストゥス(ロブストゥス猿人)……アフリカヌス猿人より大きく、顎も頑強。脳は小さい。絶滅。
まず登場したのはアファール猿人で、これが約300万年前にアフリカヌス猿人とロブストゥス猿人に分かれて進化しました。
そして、アフリカヌス猿人からは、人類の次の進化段階であるヒト属=ホモ・エレクトゥス(原人)が登場したのです。
ヒト(ホモ)属は次のように3つの種に分けられます。
- ホモ・ハビリス(ハビリス原人)……猿人から原人への移行種。但しこの種の存在を認めない説もある。
- ホモ・エレクトゥス(原人)……体も脳も大きい。火と言語を使い、共同作業を行う。石核石器(ハンドアックスやチョッパー、チョッピングトゥール)を用いる。
- ホモ・サピエンス……次の2つの亜種に分けられる。
- ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(旧人)……「ネアンデルタール人」とも。計画性と宗教意識の目覚め。剥片石器を使う。
- ホモ・サピエンス・サピエンス(新人)……「クロマニョン人」とも。精巧な石刃を用い、洞窟壁画を製作。現生人類と同種。
ホモ・ハビリスは250〜200万年前に現れ、180万年前にはホモ・エレクトゥス(原人)が登場、いよいよヒト属の時代となりました。
これまでの人類進化は全て東アフリカ大地溝帯で行われていました。しかし原人以降、人類はアフリカ以外に拡散を始めるのです。
原人、インドネシアに到達す
原人が東アフリカ大地溝帯の外に移住し始めたのは約150〜130万年前のことで、最初は似た環境にある死海地溝帯(ガリレー湖岸のウベイディア遺跡など)に沿って少しづつユーラシアに浸透していきました。
しかしアフリカに匹敵するほどの生活しやすい場所はなく、アフリカ以外での原人のコロニーはなかなか発展しませんでした。
そんな矢先、ある原人のグループは、密林が生い茂り、果物や穀物が豊富で狩りの獲物にも事欠かない理想郷を発見しました。それこそ、現在のインドネシアだったのです。およそ100万年前のことです。
当時は寒い時期(氷期)と暖かい時期(間氷期)が数万年ごとに繰り返す、いわゆる「氷河時代」でした。
氷期には海の水は雪や氷河となって陸を覆い、海面は低下しました。このため浅い大陸棚は干上がって広大な陸地が出現しました。
こうして、氷期にはベーリング海峡やジブラルタル海峡が陸続きになり、シベリアと北アメリカや、アフリカとヨーロッパが歩いて行き来できるようになったのですが、同様なことがインドネシアにも起こっていました。
そこでは、スマトラ、ジャワ、カリマンタン(ボルネオ)島がマレー半島とつながり、周囲の広大な大陸棚(スンダ陸棚)も陸化して、一つの大きな亜大陸が形作られていたのです。この亜大陸は「スンダ大陸(スンダランド)」と呼ばれます。スンダ大陸は狭い海峡を隔てて、オーストラリアとパプア島及びその周辺大陸棚が一体化した「サフル大陸」に連なっていました。
スンダ大陸は豊富な動植物に恵まれた温暖な地域で、氷期アフリカの湿潤な環境によく似ていました。そこにやってきたアフリカ生まれの原人は、「こりゃ天国じゃわい」と手を打って喜んだに違いありません。
こうして原人はスンダ大陸に住み着き、「ジャワ原人」としての進化の道を歩み始めました。
ピテカントロプスの大腿骨 (レプリカ) 現代人とほとんど変わらないことから、ジャワ原人が直立歩行していたことが分かりました。
|
ジャワ原人として有名なのは中部ジャワのトリニールで発見されたピテカントロプス・エレクトゥス(かつて「直立猿人」と訳された)ですが、むしろ同じ中部ジャワのサンギランの方が多くの化石が見つかるので有名です。
彼らジャワ原人は100〜65万年前にかけ、「パチタン文化」「サンギラン剥片石器文化」と呼ばれる文化を繰り広げて、生きていました。彼らの道具箱には、ヨーロッパの前期旧石器文化を特徴付ける「ハンドアックス(握斧)」と呼ばれる代表的石核石器が見あたらず、代わりに雑な作りのチョッパーとかチョッピングトゥールとかいう礫器が多いのが特色ですが、これは彼らの後進性・停滞性を表すのではなく、むしろ、ハンドアックスであくせくと死肉を漁ったり堅いものを割って食べたりする必要もなく、チョッパーやチョッピングトゥールで木の根をほじったり、柔らかい果物を食べたり、小動物を捕まえたりしてのんびり暮らしたジャワ原人の生活の安逸さを示している、と考えるべきでしょう。
スンダ大陸はジャワ原人以外のアジアの原人の進化の舞台ともなりました。例えば70万年前頃には一部が中国大陸を北上し、「藍田人」として化石を残しましたし、60万年前には別種の原人が北京郊外の周口店の洞窟に住み着き、「北京原人」になりました。
インドネシアのホモ・サピエンス
約20万年前、世界の人類は原人(ホモ・エレクトゥス)からホモ・サピエンスへの進化を経験します。
最初に登場したホモ・サピエンスは、「旧人」あるいは「ネアンデルタール型」「古代型」などと呼ばれる、眼窩 (目の上のひさし) の発達したごつい顔をした人間たちでした。
しかし見た目でごまかされてはいけません。彼らは既に我々と全く同種のホモ・サピエンス。違いは同一種内の変種程度のものでしかなく、ネアンデルタール人と我々が結婚してもちゃんと子供を作れます。
しかも彼らは死者を手厚く葬り、花を添えるという優しさも見せているのです。
ソロ人の頭骨 (レプリカ) 目の上がひさしのように出っ張っているのが旧人の特徴。
|
インドネシア(スンダ大陸)では、20〜15万年前に「ソロ人」と呼ばれる旧人が住んでいたことが知られています。その名の通り中部ジャワのソロ川流域に住んでいました。
研究によると、ソロ人の一部はサフル大陸に入り、オーストラリア原住民の祖先になったようです。
4万年ほど前から、世界のあちこちで旧人はより現代的な体型・顔付きをした「新人」(「クロマニョン型」「現代型」とも)に取って代わられるようになります。彼らは現代の我々の直接の祖先で、ヨーロッパのクロマニョン人などは既に白色人種の特徴を備え、その復元像は映画スターかと思うほどハンサムです。
新人の起源について、最近はミトコンドリア内の遺伝子の解析から、現代の人類はすべて、20万年前のアフリカにいた一人の女性から生まれたという説が注目を浴びています。
「ミトコンドリア・イヴ」と呼ばれる彼女から生まれた新人が世界中に広がり、旧人を一人残らず駆逐した、というシナリオには、しかしながら無理があります。
例えば新人独特の文化といわれる石刃技法を使った後期旧石器文化は、実は大部分以前からの石器文化の伝統を汲んだものであり、新人の登場前後で文化の断絶は見られません。
また、ヨーロッパの新人はヨーロッパの原人や旧人の身体的特徴を受け継いでおり、同様にアジアの新人はアジアの原人・旧人の特徴を維持しています。単一遺伝子が急速に広がったなら、こうした地域的変異がなおも保たれているのはなぜでしょう。
そもそも、何十万年も生きてきた世界各地の旧人たちを、新参者の新人が短期間にことごとく絶滅させてしまえるものでしょうか。そうしなければなければならない理由は何なのでしょう?
考古学的証拠から言える確かなことは、およそ4万年前、中東に新人的形質を持った人類が出現し、旧人と共に生活し、旧人と同じ中期旧石器文化を担ったということです。その後最終氷期の到来と共に後期旧石器文化で武装した新人たちはヨーロッパやアジアへ広く拡散していきました。
スンダ大陸への新人の侵入過程ははっきりしません。スンダ大陸では旧人が独自に新人に進化したという説もあります。
いずれにせよ、1万2000年前(西暦紀元前1万年)頃にはジャワ東部に「ワジャク人」と呼ばれる新人がおり、同じ頃カリマンタンのニアーにも新人が住んでいたことが知られています。
こうしてインドネシアも新人の世界となりました。彼らは原モンゴロイドと考えられ、スンダ大陸は原モンゴロイドが今の南方モンゴロイドに進化した舞台でもあったと考えられているのです。
通称 |
学名 |
生存年代 (年前) |
有名な化石標本 |
インドネシアの標本 |
随伴文化 |
主な石器 |
猿人 |
アウストラロピテクス |
440万〜100万 |
ルーシー(アファール猿人) |
(メガントロプス?) |
前期旧石器文化 |
礫器 |
原人 |
ホモ・エレクトゥス |
180万〜25万 |
北京原人 |
ジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトゥス) |
石核石器 |
旧人 |
ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス |
25万〜3.5万 |
ネアンデルタール人 |
ソロ人 |
中期旧石器文化 |
剥片石器 |
新人 |
ホモ・サピエンス・サピエンス |
3.5万〜現在 |
クロマニョン人 |
ワジャク人 |
後期旧石器文化 |
石刃 |