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現在のインドネシアには、ジャワ人、スンダ人、ミナンカバウ人、バタック人、ダヤク人など数多くの民族が住んでいます。彼らはどのようにインドネシアに渡ってきたのでしょうか?
東南アジアの人種の形成氷河時代(更新世)が終わり、完新世----つまり地質学的現代が始まって、スンダ大陸(1)が水没してインドネシアが島になった時、インドネシアにはソロ人やワジャク人の末裔と言える人々が住んでいました。彼らはオーストラリア原住民に近い体の特徴を持った人々でした。
現在、インドネシアを含む東南アジア一帯には、モンゴロイド(黄色人種)の南方群が住み着いていますが、マレー半島や島嶼部には非モンゴロイドの未開部族が点在しています。彼らこそ、モンゴロイドがこの地にやってくる前に東南アジアに広く分布していた古代の住人の末裔と考えられているのです。
尾本恵市氏(1984)他によれば、次のようになります。 インドネシアの旧人ソロ人の子孫は、約5万年前にサフル大陸(2)へ渡り、オーストラリア大陸に広がって、高温・乾燥の気候に適応してオーストラロイドになった。 その後、スンダ大陸では新人化が進み、1万年前にはワジャク人が登場した。そして、彼らのうち、密林で暮らしていた者たちは体が矮小化してネグリトになり、海岸地帯や湿地帯のようにもっと開けた土地で生活していた連中はプロトマレーになった。……
アウストロネシア語族がやってきた!このように、1万年前(紀元前8000年)のインドネシアはネグリトとプロトマレーの住む土地となっていました。彼らは農耕をまだ知らず、採集狩猟民であり、剥片石器を中心とする後期旧石器文化の中で暮らしていました。ここに、中国大陸方面から何回かの民族移動の波が押し寄せます。
その一つは、紀元前5000年以前に、東南アジア大陸部から、マレー半島を経由してスマトラ方面へやってきた、ホアビン文化(中石器文化)を持った人々の到来でした。 しかし、さらに重要な民族集団が、紀元前1500年以降にインドネシアに入ってきます。彼らこそ、現在インドネシアに住む人々の直接の祖先なのです。
彼らは「アウストロネシア(オーストロネシア)語族」と呼ばれます。
彼らは前5000年、まず台湾へ渡り、次いで前3000年頃フィリピンへ移ります。
インドネシア語派の共通の祖先は前2000年以降フィリピンから南下し、「北西(フィリピン)語群」「セレベス語群」「西インドネシア語群」の三つに分かれました。
ジャワ人、スンダ人、マレー人はこうして生まれた西インドネシア語群は海洋民族であったらしく、前500年以降、東南アジア島嶼部一帯の沿岸地帯に広く共通の文化圏を広げました。甕棺葬に特徴付けられた彼らの文化は、内陸のプロトマレー系狩猟民とは全く異なるもので、根栽農耕を持ち、海洋通商で栄えました。甕棺葬文化は中部ベトナムに及んでおり、西インドネシア語群が移住したことを示しています。実際、そこから西インドネシア語群に属するチャム族が現れています。
ドンソン文化は基本的にアウストロアジア語族(アウストロネシアとは違うよ!)の文化で、稲作農耕(ブル稲作)を携えていました。 この文化の影響下に入った西インドネシア語群は、稲作農耕を学び、定住化し、各地で固定した民族が形成されてゆきました。
スマトラの中・南部にはインド古代文明の影響を強く受けたマレー人が生まれます。マレー人からはのち、ミナンカバウ人などが分離します。
註1. スンダ大陸とは、寒冷な氷河時代に海面が低下したため出現した、マレー半島、スマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島などが一続きになった亜大陸のこと。 2. サフル大陸とは、氷期の海面低下により、オーストラリアとパプア・ニューギニア島及びその周辺大陸棚が一体化して生まれた亜大陸のこと。 3. アウストロネシア語族の移動過程は、ベルウッドやシャトラー&マークらの研究によります。 |