バリ風滅び方
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 バリ島の州都デンパサールには「ププタン広場」と呼ばれる一角がある。

 ここはもともとバドゥン王国の王宮前広場だった。
 しかし普通、王宮 (クラトン) 前の民衆が集まる広場は「アルン・アルン」と呼ばれる。ジョクジャカルタでもバンドゥンでも、みなそうだ。
 ではなぜ、デンパサールでは「アルン・アルン」と呼ばずに「ププタン広場」と呼ぶのか?
 それは、ここで「ププタン」が行われたからだ。
 OK。では、「ププタン」とは何か?
 それは、一言で言えば「バリ風・滅びの美学」と言ってよいのではないだろうか。

 1906年9月20日、この日はバドゥン王国最後の日である。

 バリには16世紀、マジャパヒト王国の亡命者が築いたゲルゲル王国が生まれたが、これは間もなく8つに分裂した。
 これらのうち、ブレレン王国、ジュンブラナ王国などは19世紀前半の3回に渡る「バリ戦争」(1840-43、1848、1849)によってオランダに制圧され、20世紀に入るとギャニアール王国を巡る紛争が更なるオランダの侵略を招くこととなった。
 今やバドゥン王国は孤立無援で、周囲をオランダに攻略されている。オランダ軍の圧倒的な武力の前ではとても勝ち目はない。
 それでも、「劇場国家」と呼ばれるバリの王国は、最後まで見事な演出を用意していた。

 1906年9月20日、最上の衣装で着飾った高貴な一団が、王宮から姿を現し、ガムラン音楽の合奏に合わせ、静かに歩き出す。
 先頭は、輿に乗り、黄金の傘を差しかけられた国王。次いで由緒あるクリス (短剣) を携えた貴族たち。槍や弓矢を持った兵士が続き、最後に女と子供の一群が進んでくる。

 オランダ軍は「止まれ」と命じた。しかし行列は威厳を保ったまま、歩調を崩さずに進んでくる。
 やがて恐怖に駆られたオランダ兵が発砲を始める。
 王族はばたばたと倒れる。しかし行進は止まらない。撃っても撃っても、屍を踏み越えて彼らは進んでくる。
 国王の遺体の上に貴族たちの遺体が重なる。貴族たちの上には女たちが倒れ、その上にはクリスと槍を手にした子供たちが倒れかかる。
 行列に加わった僧侶たちは、撃たれても死にきれない者を見つけ、クリスで留めを刺してやった。僧侶が撃たれると、別の者が僧侶の代わりとなった。

 これが「ププタン (puputan) 」である。
 それは「死への厳粛な行進」である。
 だが、それは、「玉砕」ではないし、「死を賭した最後の抵抗」とも違う。
 なぜなら、それはもはや戦闘行為ではないからである。
 バドゥン王宮の人々はすでに覚悟を決めていた。敵を道連れにするつもりもなかった。彼らはただ、荘厳な儀式の中に滅び、自分たちの名誉を守りたいと願ったに過ぎない。
 彼らが王宮を出る時、「ププタン」に加われない体の不自由な老人や病人はすでにクリスで自害し果てていた。そして王宮には火が放たれた。

 美しい衣装をまとった女たちは、金銀宝石をオランダ兵にぶつけながら、口々に叫んだ。
「私たちを殺すほど欲しがっていた金だよ、さあ、くれてやる!」
「これが私たちを殺してくれたお駄賃だ、とっとと持って行くがいい」

 殺戮が終わった時、王宮前広場には、金銀宝石が散らばる中、華麗な装束に身を包んだ死体が累々と横たわっていた。王弟の宮殿と合わせ、犠牲者は4000人にのぼったと言われる。ちなみにオランダ側死者は一人だった。
 彼ら王族の尊厳ある死に様こそ、バリ人の滅びの美意識の最たるものと言えよう。
 だから、バリ人は今でもデンパサールの王宮前広場を「ププタン広場」と呼び、彼らの最後を記念しているのである。

 バリの全ての王国がププタンで果てたわけではないが、多くの王国が同じような儀式的な最期を遂げた。
 バドゥン王国の西隣タバナン王国では、国王が家臣を自害させるにしのびなく、王子を連れてオランダ軍に投降した。
 しかしオランダ軍は国王を貴人としてではなく、単なる一捕虜として牢に入れた。クリスも取り上げた。
 王族がクリスなしで過ごすことがどれほどの屈辱か、オランダ人は知らなかったのだ。
 この国王はその夜、尻をほぐす鈍いナイフで首を切り、自殺した。王子も後に続いた。

 1908年、最後まで残ったクルンクン王国も、ププタンで滅びた。
 こうしてバリは全島がオランダの支配下に入った。

 しかし、ププタンを目の当たりにしたオランダ人は、旧日本軍の特攻を見た米軍以上に驚愕したはずである。
 その衝撃が、その後の腫れ物に触るようなオランダのバリ統治政策を導いたのかも知れない。


=参考文献=

  • 大槻重之『続・インドネシア百科』 関西電力(株) 購買室 燃料部門 1994年
  • 大槻重之『バリ島百科』 関西電力(株) 購買室 燃料部門 1993年  
  • 石井米雄監修『インドネシアの事典』同朋社出版 1991年
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©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/04/24

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