12世紀前半、東ジャワのクディリ王国に、王国の最盛期を導いたジョヨボヨ (Jayabaya ジャヤバヤ) (位1135以前−1157以後) という王がいた。
ジョヨボヨ王は、宮廷詩人ウンプ・セダーとウンプ・パヌルーに命じて、古代インドの民族叙事詩『マハーバーラタ』をジャワ風に翻案させた。これは『バラタユダ』 (ジャワ人の発音は「バロトユド」) として知られている。
ところが、『バラタユダ』はただの文学ではなかった。
これは国家統一戦争で大量の血を流させたジョヨボヨ王の懺悔の書であり、そこには摩訶不思議な種々の予言が満ちていると言われるのである。
予言に関しては後世様々な異説が生まれ、それはしばしばジャワに於けるメシア (救世主) 待望思想=千年王国運動、反植民地主義、聖戦思想と結びついて民衆の間に広がった。
また、これらの予言は、19世紀後半にスラカルタ王国のソロ王宮で活躍した「最後の宮廷詩人(プジャンガ)」ロンゴワルシト(1802〜1873)により、ワヤン(影絵芝居)劇(ワヤン・マディオ)に仕立てられ、民衆の間にさらなる信奉者を生み出した。
このようにして伝承されたジョヨボヨの予言には多くのヴァージョン (異版) があり、決定版を決めるのが難しい。
言い伝えでは、オリジナルはカウィ語 (古代ジャワ語) でロンタル (椰子の葉を乾燥させて綴ったもの) に書かれ、今でもソロの王宮に保存されているという。
予言は人間の歴史を6つの時代に分ける。
ジョヨボヨ王から見て未来に当たる時代は次のように区分される。
- 第3の時代……国内に混乱が生じる。
- 第4の時代……外部から侵入した異民族による支配。
- 第5の時代……北方から黄色い人間の軍隊が来攻、異民族支配を駆逐し、代わって支配するが、それはジャグン (トウモロコシ) 一回限り [別の版では、ラジャアグン (大王) 一代限り] の短い間である。
- 第6の時代……男は女のように、女は男のようになり、世は麻の如く乱れるが、やがて白馬にまたがる救世主が登場し、永遠の平和と幸福が約束される。
ジョヨボヨの予言は、「世界の終末に救世主が現れ苦難の人々を救う」という典型的なメシア式予言で、そこにはイスラムの終末思想からの影響が見られると言われる。
ジョヨボヨはもしかすると現代を見通していたのかも知れない。
あるジョヨボヨ予言は次のように述べる。
未来、線が地上に巻き付き[電報]、遠距離でも話が出来るようになり[電話]、馬なしの車が走り[汽車]、距離が大した問題ではなくなる[飛行機]。
その後、ジャワ暦1970年=西暦2039年に、白人に対する聖戦が勃発する。平笠 (=中国人) は下流に流され、トゥンタン川は血で赤く染まり、ジャワ人は自治を回復する。
だが、それは長くは続かない。黄色人種の王が再びジャワを支配下に置くからだ。
予言通り「黄色い人間」が白人を追い出す時がやってきた。
1942年、日本軍はインドネシアに侵攻、オランダをあっという間に降伏させた。
ジョヨボヨの予言を知る者にとっては、これこそ予言の成就でなくて何であろうか。
日本軍は、やがて来るべき救世主の露払いとして、インドネシアの各地で紅白旗(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられた、というのは有名な話である。
もしかしたら日本側も、プロパガンダの一環として、この予言を意図的に流布したのかも知れない。
しかしながら、日本の軍政支配は予言通り(?)「トウモロコシが育つまでの」3年半で終わり、インドネシアは独立した。
予言の核心は、混沌の時代の終わりには救世主が現れる、ということである。
ここで言う救世主は、ジャワの伝説では「ラトゥ・アディル (正義の王) 」(あるいはヘルチョクロ)と呼ばれる。
「ラトゥ・アディル」出現の直前には世の中は「狂気の時代」に入っている。犯罪、不正は横行し、利己主義や物欲は限りなく増大し、道徳の退廃、ジャワ語の敬語法の乱れなどは際限なく、社会秩序は乱れに乱れる。
加えて飢饉や伝染病など天災が頻発、天変地異も起こる。
しかし、天変地異は「ラトゥ・アディル」来臨の前兆で、この王は間もなく人間の世に出現、国を治める。
だが、その支配も長くはない。「ラトゥ・アディル」伝説によれば、やがて「最後の審判」の日が訪れるという。
オランダ支配に反抗してジャワ戦争 (1825−1830) を引き起こしたジャワの王子ディポヌゴロも、「ラトゥ・アディル」「ヘルチョクロ」と名乗った。
1870〜71年にもバニュマス地方でキヤイ・ヌルハキムによるラトゥ・アディル待望運動が起こった。
こうした「千年王国運動」「救世主待望論」としてのラトゥ・アディル運動は、しばしば農民反乱の契機となった。
インドネシア独立後も、スカルノ初代大統領が「スルタン・ヘルチョクロ」だったとか、スハルト第2代大統領が「開発の王」としての「スルタン・ヘルチョクロ」だとかいう議論があった。
それほどにラトゥ・アディルの概念はジャワ人の間で根強いものであったわけだ。
現在のインドネシアの若い国民は、ジョヨボヨの予言を忘れつつある。
しかし、1999年6月に行われる21世紀のインドネシア大統領を決める総選挙に関するパラノルマル (超能力者) の予言は、ジョヨボヨ予言と極めて似たものだ。
例えばインドネシア人の預言者として有名なプルマディ (Permadi) 氏曰く、
1999年は悪魔と聖者の戦いの年で、政治、経済、文化は破局に至る。総選挙も大統領選出のための国民協議会も流れ、社会は混乱の中に叩き込まれる。
しかし最後には聖者が勝利し、平凡だがカリスマ性の高い人物が救世主として登場するであろう。
オランダからの独立戦争、9月30日事件とスハルトの恐怖政治、その崩壊後の混沌……と、苦難の道を歩み続けるインドネシア国民にとって、ジョヨボヨ予言は願望の結晶として、現在も形を変えて生き続けるのではなかろうか。
=参考文献=
- 染谷臣道「ジョヨボヨ伝説」 〜 石井米雄監修『インドネシアの事典』同朋社出版 1991年
- 土屋健治「芸術と文学」 〜 綾部恒雄・石井米雄編『もっと知りたいインドネシア[第2版]』弘文堂 1995年
- 永積昭『世界の歴史13 アジアの多島海』講談社 1977年
- 大槻重之『インドネシア百科 −インドネシア入門全300項目− 』 関西電力(株) 購買室 燃料部門 1991年
- 田村三郎『インドネシアのあらまし (増補改訂版)』 1978年 (初版1971年)
- 日刊ニュースネットアジア[インドネシア版]第493号 1998年11月3日(火)「テイクオフ(インドネシア編集室から)」
- 翻文館"速達情報"No.4198 1999年1月12日号
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