クディリ朝
Kediri  1050〜1222
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 中世の東部ジャワに君臨した王朝。「カディリ (Kadiri) 」または「ダハ (Daha) 」朝とも。

1042
 サンジャヤ朝メダン王国の末裔で、バリ島を含む東ジャワ統一の偉業を成し遂げたエルランガは、国土を二人の息子に分け与えて引退。
  • ジャンガラ国(1049-1050)……北部のスラバヤ地方。
  • パンジャル国(1049-1050)……南部のクディリを都として繁栄、ジャンガラ国を併合。

1050
 クディリを都とするパンジャル国がジャンガラ国を併合して東部ジャワを統一、ここにクディリ朝が成立。

 バリ島、カリマンタン島西南部、ティモール島、スラウェシ島南部、テルナテなどにも勢力を及ぼす。
 エルランガ王時代のジャワ文学の栄光も継承。

12世紀前半 (1135以前−1157以後)  ジョヨボヨ (ジャヤバヤ) (Sri Haji Jayabaya)
 分裂していた王朝を統一、政治、経済、文化の最盛期をもたらした。
 宮廷詩人ウンプ・セダーとウンプ・パヌルーに命じて『マハーバーラタ』をジャワ風に翻案した『バラタユダ』 (ジャワ人の発音は「バロトユド」) を作らせた。これは『マハーバーラタ』の最初のジャワ語への翻訳である。

1222
 シンガサリ朝のケン・アンロクに滅ぼされる。

〔文化〕

  • チャンディ (石造寺院) が優美に。
  • 文学活動が活発に。
  • ヒンドゥー教大乗仏教の混淆が進む。
  • インド的要素のジャワ化が進展。

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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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