32年間インドネシアに君臨したスハルト政権を総括してみましょう。
スハルトの功罪を列挙すると、こうなるでしょうか。
まず「功」。
次に「罪」。
- 大量虐殺
- 貧富差拡大
- 親族への過大な経済的・社会的優遇措置(ネポティズム)
ことにこの最後のネポティズムが、大統領職の世襲化=インドネシアの「スハルト王朝」成立への危険を匂わせ、国民の反感を招いて政権の崩壊につながったのです。
スハルトは退陣後、人々から「巨悪」と見なされています。
しかし、大量殺人、強権発動、人権抑圧という点から言えば、「偉人」「英雄」ガジャ・マダ(マジャパヒト王国の宰相)だって同じです。
今、インドネシア国民の間では、スハルト前大統領と比較する形で、故スカルノ大統領の人気が再び高まっています。
曰く、
「スハルトは賄賂を独り占めしたが、スカルノは国のために使った」
「スハルトは演説が下手だがスカルノは天才」
「スハルトは英語もあまり喋れないが、スカルノは英語、オランダ語、ラテン語など数カ国語に精通していた」
「スハルトの子供は馬鹿ばかりだが、スカルノの子供はみな頭がいい」……
人々が熱烈にインドネシア民主党(闘争派)総裁メガワティ(スカルノの娘)を支持するのも、スカルノ時代へのノスタルジーからという側面があります。
しかし、スカルノが権力維持に躍起になり、経済を省みなかったため、国中がひどい混乱に陥ったのは、前に見た通りです。
また議会を解散して独裁制を打ち立てたのもスカルノでした。
スカルノ時代は貧困と危険に満ちた、受難の時代だったのです。
何もここでスハルトを弁護するつもりはありません。
ただ、反対勢力から見れば権力者は必ず「悪」です。ガジャ・マダでもスカルノでも、もし今、政権の座にあれば「巨悪」と呼ばれるでしょう。
現代史の場合、我々が直接の利害当事者になるため、客観的評価を下すことは、なかなか難しいのです。
経済で成功したスハルト体制がつまづいたのは、やはり経済でした。1997年にアジアを襲った通貨危機と、肥大化しすぎたファミリー・ビジネスが、スハルトの命取りとなったのです。
しかし同時に、近代教育を受けた若い世代が、スハルト体制の欺瞞と権威主義に我慢がならなくなったのも、スハルト体制終焉の大きな原動力となりました。
実際、スハルトは表と裏の顔を巧みに使い分けました。
スカルノの場合、堂々と独裁をやりました。スハルトは5年ごとの総選挙で成立する国民協議会の推戴という儀式で大統領に居座り続けました。
誰もがそんな「民主主義」など仮面であることを知っていましたが、「バパ(親父)」の権威に誰も反抗することが出来ませんでした。親父が怒ると怖いからです。親父は9月30日事件では50万人殺し、東ティモールでは20万人殺しました。常日頃もアリ・ムルトポの特別工作班、ベニー・ムルダニの国軍戦略情報庁、プラボウォの陸軍特殊部隊司令部(コパスス)、ヤプトのパンチャシラ青年団……など“闇の軍団”を使って時々“お仕置き”を実行していました。
しかし、怖い「親父」が「親ばか」に変わり、子供の「あれが欲しい」「これが欲しい」に目尻を下げるようになると、親父の権威は失墜しました。
ここに襲来した経済危機が、「内」と「外」の二重の権力・経済構造をそれ以上温存することを不可能にしました。
若い世代も「内輪の論理」を拒否、ここに親父は退陣せざるを得なくなったのです。
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