中世の東部ジャワを支配した強国。「シンゴサリ」とも(1)。わずか70年しか続かず。
- 13世紀初め
- クディリ朝ジャンガラ公国トゥマーペル地方のケン・アンロクは、低い身分の出身だがトゥマペル領主トゥングル・アメトゥンを殺してその座を奪う。
その後兵力を蓄え……
- 1222
- クディリ朝の王クルタジャヤをガンテルの戦いで敗死させ、クディリ朝を倒す。
- 1151−1196 ケン・アンロク (ラージャサ王ギリンドラヴァンシャ)
トゥマーペル(後のシンガサリ)[スラバヤ南方60km]を都として東ジャワを統一、ラージャサ王ギリンドラヴァンシャ(Girindrawangsa 1222−1227)と名乗る。
- 1227
- ケン・アンロク、前トゥマペル領主トゥングル・アメトゥンの息子アヌーサパティに暗殺される。
アヌーサパティはそのまま王位を簒奪する。
- 1227−1248 第2代アヌーサパティ王
- 1248年、トージャヤに暗殺される。
- 1248 第3代トージャヤ王 (Tohjaya)
- 在位わずか数ヶ月で二人の甥に殺される。
- 1248−1268 第4代ヴィシュヌ・ヴァルダーナ王 (Sri Jaya Wisnu Wardana)
- 専横を殺した二人の甥の一人。
都トゥマーペルを「シンガサリ」と名付ける。
1254年、息子クルタナガラ (クルタヌガラ Kertanegara) を共同統治者とする。
- 王国はモルッカ諸島(東)とマラッカ水域(西)を結ぶ東西貿易で利益を上げ、発展。
また、ヒンドゥー教と仏教の融合が進み、文化にはますますジャワ独自の要素が顕著に見られるようになる。
- 1268−1292 第5代クルタナガラ王
- 国威は振るい、ジャワ島西部スンダ地方、マドゥラ島、バリ島などジャワ周辺を征服。中部ヴェトナムの強国チャンパの王に妹 (娘?) を嫁がせ、モンゴルの使者をも辱める
- 1275 マラユ国に遠征軍を派遣
- 1284 バリ王国に遠征
- 1286 マラユ国のMaulimarwadewa王に父王ヴィシュヌ・ヴァルダーナの像(但し当時の碑文では観音像)を送り崇拝させた。
- 1289 西ジャワ、西カリマンタンのタンジュンプラ等に遠征
- 1289 元の皇帝フビライ・ハーンの使者が来訪 → クルタナガラ王は彼らの顔に入れ墨をするなど、侮辱して追い返す
- 1292
- この年5月、クディリ朝の遺臣ジャヤカトワンに攻められクルタナガラ王は殺され、シンガサリ朝滅ぶ。
〔宗教・文化〕 王室では仏教が再興し、密教信仰とシヴァ信仰が並び行われた。 → 宗教が盛んになった結果、東ジャワ式の建築・彫刻が大いに発達。
註
1. 中部〜東部ジャワでは a を[o]に近く発音する。 [例]Lara Janggrang → ロロ・ジョングラン、Ratu Baka → ラトゥ・ボコ(ボコ女王)
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