インドネシアの主島。古くはサンスクリット語で「ジャヴァ(Java)」と呼ばれたが、アウストロアジア語系のジャワ語やマレー語では「ジャワ(Jawa)」という。
〔地形〕 多数の火山が並び立つ。最高点スメル山(3676m)。土壌は肥沃。
〔気候〕 熱帯季節風気候に属し、雨季(11〜3月)と乾季(4〜10月)が明瞭であるが東部ほど雨量は少ない。
〔住民〕 中部に全体の7割を占めるジャワ人、西部にスンダ人、東部および属島のマドゥラ島にマドゥラ人など。華人、アラブ人の居住者も多い。
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- スンダ人……ジャワ島の本来の住民だが、後から移住してきたジャワ人に圧迫され、西部ジャワの山地方面に移動し、都バンドゥン(Bandung)を築いた。16世紀以後イスラム化。
- ジャワ人……水稲中心の農耕民で、大部分が村落共同体(デサ)のもとに,土地の共有、長老の村長を中心とした相互扶助制度をとる。古くからヒンドゥー教、仏教を受け入れ,マジャパヒト王国に代表されるヒンドゥー・ジャワ文化が開花したが、13世紀以降はイスラム教が浸透した。
- マドゥラ人……ジャワ島北東のマドゥラ島に住み、ジャワ人の支配を受けた。
〔歴史〕
- 前期旧石器時代
- ジャワ原人(ピテカントロプス)が住み、パチタン文化を展開。
- 紀元前後〜13世紀 ヒンドゥー文化時代
- インド人が移住、ヒンドゥー教、仏教文化がインドより持ち込まれる。
- 8世紀後半〜9世紀後半 シャイレーンドラ朝全盛
- 仏教寺院ボロブドゥールを建立。
- 9世紀後半〜10世紀初め サンジャヤ朝繁栄
- ヒンドゥー寺院群プランバナンを築く。
- 929〜1042 メダン王国
- サンジャヤ朝、東遷してメダン王国を築く。エルランガ王が王国を復興。以降ジャワ東部が文化の中心に。
- 1050〜1222 クディリ朝
- ジャワ文化躍進。
- 1222〜1292 シンガサリ朝
- 最後の王クリタナガラは武勲を上げるが、クディリ朝の遺臣ジャヤカトワンの裏切りで滅ぶ。
- 1293〜1520頃 マジャパヒト王国
- 第4代ハヤム・ウルック(1350-1389)は賢相ガジャ・マダを得てヒンドゥー・ジャワ文化の黄金期を築く。
- 15世紀〜16世紀 イスラムの拡大
- イスラム教がジャワ中部から急拡大、マタラーム王国(1580年代末頃-1755)が勢力を伸ばす。
- 17世紀〜 オランダ東インド会社の進出
- マタラーム王国の領土を蚕食、1755年にジョクジャカルタとスラカルタに分裂させ、保護下に入れた。1825〜1830年、ジャワ戦争起こる。
- 第2次大戦後 インドネシア共和国成立
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伝統的米作に加え、近代のこの時期に発達したゴム、茶、コーヒー、その他のプランテーションにより、全島ほとんど開拓され尽くされた。
ジャワ小史
- 前期旧石器時代 パチタン文化
- ピテカントロプスの文化。遺跡は東部ジャワの南岸パチタンにあり、多量の大型石器が出土。
インド〜東南アジアに分布するチョッパー・チョッピングトゥール文化群の一つ。
- 5世紀
- 「呵羅単(訶羅陀)」、「婆達」2国が宋に入貢の記録。
同じ頃西にはタルマナガラ王国存在。
- 8世紀前半
- 中央ジャワ南部にヒンドゥー(シヴァ信者)系のサンジャヤ朝マタラーム王国が出現。
- 同 後半
- 同じく中央ジャワに、今度は仏教を信奉するシャイレーンドラ朝が興り、急速な膨張を開始。チャンパを襲撃し、カンボジア(水真臘)をも攻撃、クメール人の王を殺害。
圧迫されたサンジャヤ朝は東部へ移動。
以後約100年間はシャイレーンドラ朝の最盛期で、仏教寺院ボロブドゥールもこの頃建てられた。
- 9世紀後半
- 中部ジャワにサンジャヤ朝が復興、シヴァ神殿ロロ・ジョングランを含むヒンドゥー教寺院群プランバナンを建設。
- 920年代
- メラピ山の大噴火で、サンジャヤ朝は中部ジャワから東のメダン(Medang)へと移り、メダン王国建設。
王室はヴィシュヌ信仰に。
- 929〜1016
- メダン王国は順調に発展、ダルマヴァンシャ王(位991〜1016)はシュリーヴィジャヤ王国を侵略するほどに。
- 1016
- シュリーヴィジャヤの報復。ダルマヴァンシャは死に、メダン王国は崩壊。
- 1019〜1042
- その女婿エルランガが国を復興し、バリ島を含む東ジャワ一帯を統一。
死に際して国を二分(1042)。
- ジャンガラ国(1049-1050)……スラバヤ地方。
- パンジャル国(クディリ朝)(1050-1222)……繁栄し、ジャンガラ国を併合。
- 13世紀
- シンガサリ朝(1222-1292)が興り、クディリ朝を滅ぼす。第5代クリタナガラ王はジャワの周辺も征服して威光を輝かすが、クディリ朝の遺臣ジャヤカトワンに裏切られて滅んだ。
- 1292〜1293 元(モンゴル)軍の襲来
- クリタナガラ王の婿ラデン・ヴィジャヤはモンゴルと結んでジャヤカトワンを倒し、次いで元も駆逐してマジャパヒト王国を建設。
- 1350〜1389 第4代ハヤム・ウルック王の統治
- 賢相ガジャ・マダに支えられ、マジャパヒト王国の最盛期を築く。
- 15世紀半ば
- マジャパヒト朝でイスラムの布教が盛んになる。
- 16世紀初め
- ジャパラのウヌス、マラッカ攻略に失敗した後、ドゥマク国のスルタンになり、マジャパヒトを圧迫。
マジャパヒトからの亡命者(貴族や高僧)は、東部のヒンドゥー諸国(トゥマペル、パナルカン、パスルアン等)やバリ島に逃亡。
イスラム教はジャワ中部に定着、急拡大を始める。
- 16世紀前半
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ドゥマク国は、ジャワ西部のヒンドゥー教国パジャジャランなどから領土を奪うが、内紛で16世紀半ばにマタラーム王国、バンテン王国などが独立。
- 1586〜1755 マタラーム王国
- マジャパヒト朝の衰退後東西ジャワに勢力をのばし、オランダと戦う。
- 17世紀 オランダ東インド会社の進出
- オランダは16世紀末以来急速にジャワ島に進出。
- 1596 オランダ人現る
- 1603 商館が開かれる
- 1610〜 バタヴィア(ジャカルタ)に目を付けられる
- オランダは勢力扶植に成功、マタラーム王国の領土を蚕食。
- 17世紀前半
- 当時のジャワ島の情勢
これら諸王国は盛んにオランダ支配の根拠地バタヴィア(現ジャカルタ)を攻撃したが、オランダはよくこれを防ぎ、逆にバンテン王位継承に干渉して結束を崩した。
- 1755 マタラーム王国分裂
- オランダは18世紀初めから3次にわたるマタラーム王国の王位継承戦争に介入し、この年の協定で王国をジョクジャカルタ王国とスラカルタ王国に二分し、保護下に入れた。
- 1825〜1830 ジャワ戦争
- ジョクジャカルタ王国のスルタンの子ディポネゴロは反オランダ闘争に立ち上がるが鎮圧される。
- 第2次大戦後 インドネシア共和国成立
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