インドネシア語のルーツは?
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 現在インドネシア語(バハサ・インドネシア)はインドネシア人の共通語として幅広く用いられ、インドネシア語による文学も次々と書かれている。

 ところが、意外なことに、インドネシア語は、インドネシア土着の言葉ではない。
 インドネシアにはジャワ人スンダ人、ミナンカバウ人、バタック人など多くの多数民族が住んでおり、それぞれが自分たちの言語を持っているが、インドネシア語はそのどれとも違っている。
 「インドネシア語」は、それら諸民族が意志疎通しやすいように、外から持ち込まれ、広められた半ば人工的な言語なのだ。

 では、「インドネシア語」はそもそもどこの言葉か? それがどのような経緯で現在のように広くインドネシアで使われるようになったのだろうか?

 実は「インドネシア語」は、マレー語(ムラユ語)を借用したものなのだ。

 マレー語はアウストロネシア語族インドネシア語派の主要言語であり、マレーシア、シンガポールの公用語ともなっている。母語とするものは現在、マレー半島とその付近の小島、スマトラ島東部等に住んでいる。

 このマレー語、もともとはスマトラ島東部で話されていた。
 それが、シュリーヴィジャヤ帝国の繁栄と共にマレー半島にまで広まり、その後マレー商人の活躍に伴って15世紀ころからインドネシア各地、インドシナ半島海岸地方で用いられるようになり、商業用の共通語として発達したのだった。
 従って、マレー語がインドネシアの標準語に採用されたのは、理由のないことではない。

 だがそれにしても、インドネシアが独立する時になぜ、最も話者の多いジャワ語ではなく、インドネシア語が国語とされたのか?
 実はジャワ語は敬語表現 (クロモ) が複雑に発達した言語であり、ジャワ人以外の民族が用いるのには難しすぎるのである。
 ジャワの敬語は相手の地位によって、常形語 (ゴコ) 、準敬形語、敬形語、最敬形語の四つに分けられる。同じ「目」でも、常形語なら「マタ」、敬形語なら「ムリパット」、最敬形語では「パニンガル」であり、相手いかんで単語そのものが違ってしまう。しかも、この敬語の種類は、数え方によっては10のレベルにまで細分されるのである。

 それに対してマレー語はリングワ・フランカ (共通語) の常として構造が単純で、格変化も時制変化もほとんどない。新語の創作も容易である。

 こうした特徴が評価され、1928年10月28日の「青年の誓い」で、マレー語を将来のインドネシアの国語とすることが決められた。
 インドネシア語の誕生である。

 1942年から3年5ヶ月に渡る日本の占領統治時代にはインドネシア語が半ば公用語となり、その普及が大いに進んだ。

 なお、昔 (戦前?) から有名な語呂合わせにこんなのがあった。

  • 飯(めし)はナシ (nasi)、魚はイカン (ikan)、菓子はクエ (kue)、人はオラン (orang) で、死ぬはマテ (mati) マテ。
 
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©1998-99 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/05/07

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