アウストロネシア語族の西方語派(ヘスペロネシア語派)。
アウストロネシア語族は以下のように大別される。
- A. 台湾諸族
- B. インドネシア語派 または西方(ヘスペロネシア)語派
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- 北西(フィリピン)語群
- セレベス語群
- マダガスカル島民
- 西インドネシア語群
- ミナハサ族……スラウェシ島民
- マルク(モルッカ)諸族
- C. オセアニア語派 または東方(ヘオネシア)語派、またはメラネシア=ポリネシア諸族
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- オセアニア諸族
- ミクロネシア諸族
- ポリネシア諸族
このうちインドネシア語派を細別すると、次のようになる。
- 北西(フィリピン)語群
- ゴロンタ族
- ドゥスン語群……ドゥスン族、ムルット族
- タガログ語群……タガログ族(ルソン島)、ビサヤ族、イロカノ族
- スラウェシ[セレベス]語群
- マダガスカル島民……マラガシ語群メリナ方言などを話す
- 西インドネシア語群
- マレー(マライ)人……マレー人、ミナンカバウ族など
- ジャワ人……最も歴史を古く辿れる。ジャワ東部にはマドゥラ族
- スマトラ島民……バタック族、アチェ族、ガヨ族など
- スンダ人
- カリマンタン島ほか……ダヤク族、イバン族
- チャム人
- ミナハサ族……スラウェシ[セレベス]島の住民
- マルク[モルッカ]諸族
このように、特に西インドネシア語群は、マレー人、ジャワ人、スンダ人など、高文明種族を含んでおり、重要。
インドネシア語派の歴史
- 9000〜5000 BC 前(プレ)アウストロネシア語族の発生
- 大陸東南アジアで、ホアビン文化を背景に、前アウストロネシア語族が生まれた。まだタイ=カダイ語族と未文化であった。
- 7000〜6000 BC 原(プロト)アウストロネシア語族の分化
- 前アウストロネシア語族の一部は、中国の初期稲作農耕文化の強い影響を受けてタイ=カダイ語族に分化。
残りは、ヤム(山芋の一種)、タロ(里芋の仲間)、パンノキ、バナナ等の根菜を主食とする文化を保持したまま原アウストロネシア語族となる。
- 5000 BC 以降
- 中国方面から初期農耕文化(根栽栽培)を受け入れた原アウストロネシア語族は、台湾へ渡り、前2500年までの間、縄蓆文土器を残す。
台湾のアタヤル族などの高山諸部族はその時の移住者の子孫。
- 3000〜1000 BC
- 原アウストロネシア語族は台湾を出て、フィリピンを経由して東西へ広がってゆく。
フィリピンから先は二手に分かれた。
- 西方語派:フィリピン→東部インドネシア →→ インドネシア語派の誕生
- 東方語派:フィリピン→スラウェシ→モルッカ→オセアニア →→ オセアニア語派の誕生
- 2000〜500 BC
- 原アウストロネシア語族の西方分派が台湾を離れ、フィリピン経由でインドネシアに到達(以下ベルウッドによる)。
途中、台湾では円山(ユァンシャン)文化 (2000BC) 、フィリピンではタボン初期土器 (1500BC以降) を残す。
インドネシア語派が成立したのはこの時期。
同語派は間もなく次のような3グループに分かれた。
- 北西語群(フィリピン語群)……原住地のフィリピンを中心にほとんど動いておらず、北スラウェシへ南下したり、台湾へ逆流した程度で、最もオリジナルの西アウストロネシア人に近いと考えられる。
- スラウェシ語群……北西語群の次に移動距離が少ない。
- 西インドネシア語群……ボルネオ→スマトラ・ジャワ・マレー半島へと最も広く拡散した。その本格的な拡大発展は前500年以降であり、これも西アウストロネシア人では最も新しい。
- 500 BC以降
- インドネシア語派の一部がジャワ島やスマトラ島などインドネシア西部に進出し、西インドネシア語群が成立。
インドネシア西部はドンソン文化の影響を受けた先進文明地帯であり、この地域ではやがてシュリーヴィジャヤ王国やマジャパヒト王国など、歴史上重要な役割を果たす諸国家が発生す る。
一方、島嶼世界の東部(フィリピン、サラワクなど)では、青銅器、鉄器、インド製またはマレー製のガラス珠や紅玉髄のビーズを伴う甕棺葬の文化が盛んになった。
斉一性を持つ甕棺文化は、中部ベトナム(サフイン文化)まで広がっている。
これを基盤としてマレー半島を含む東南アジア島嶼部に成立した沿海通商文化こそ、西インドネシア語群の母胎だと思われる。
- 紀元前後
- 西インドネシア語群は次のような民族集団に分化。
- マレー人……マレー人、ミナンカバウ族など
- ジャワ人……ジャワ人、マドゥラ族など
- スマトラ島民……バタック族、アチェ族など
- スンダ人
- カリマンタン島ほか……ダヤク族、イバン族など
- チャム人……紀元前数世紀ころベトナム中部に移住してサフイン文化を生み出し、チャンパー王国を築く。
- 4世紀後半から5世紀
- マレー半島、インドネシア方面でインド文化の影響下に初期国家が成立。
- 7世紀後半
- 原マレー人のシュリーヴィジャヤ王国の興隆。
- 8世紀後半
- ジャワからシャイレーンドラ朝が出現、シュリーヴィジャヤを服属させる。
- 8世紀後半〜9世紀前半
- インドネシア語派の一部がアフリカ東部のマダガスカル島に移民した可能性。
=COLUMN= マダガスカル島民の謎
- c.928
- メラピ山の大噴火で中部ジャワ壊滅。
ジャワ族は東ジャワへ移動、ヒンドゥー・ジャワ文化を形成。
- 10世紀末〜11世紀初
- 東ジャワ王ダルマヴァンシャとシュリーヴィジャヤ王国の争い。
- 11世紀前半
- チョーラ朝の攻撃でシュリーヴィジャヤ=古代マレー王国は衰亡に向かう。
その一方、東ジャワ王エルランガは勢力を伸ばす。
- 1050〜1222
- クディリ朝治下の東ジャワでヒンドゥー・ジャワ文化が完成。
- 1222-1292
- シンガサリ朝はジャワ島以外にも勢力を及ぼす。
- 14世紀
- 元(モンゴル)の襲来を駆逐して建国されたマジャパヒト王国は富み栄え、ヒンドゥー・ジャワ文化の頂点を築く。
ジャワ人の海外発展が盛んで、スンダ人やマレー人を圧迫。
- 15世紀
- マレー人たちはマジャパヒト王国の侵略を避けるためマレー半島にいくつものマレー族の植民地国家を興す。
その中心的存在が「マラッカ王国」で、貿易で富み栄えた。
- 15世紀後半
- マラッカ王国はイスラム化して伝道の基地となり、イスラム教は急速にマレー人やジャワ人の間に広まった。
- 16世紀前半
- ジャワの大部分はドゥマク国率いる北部沿岸イスラム教国連盟の支配下に入り、イスラム化したジャワ人は西ジャワのパジャジャラン王国を滅ぼしてスンダ人を内陸に閉じこめた。
- 16世紀後半〜17世紀前半
- 中部ジャワのマタラーム王国は東西に勢力を伸ばし、オランダ東インド会社 (VOC) の拠点バタヴィアをも攻撃。
以後マタラームの勢力は衰え、代わってオランダが急速に進出してくる。
- 17世紀後半〜18世紀半ば
- VOCの介入でマタラーム王国はジョクジャカルタ王国とスラカルタ王国に2分され、VOCの宗主権が確立。
- 19世紀
- ジャワはオランダ、マレー半島はイギリスによって蝕まれ、植民地にされる。
- 1942
- 太平洋戦争開始に伴って、インドネシア語派の人々は日本軍に支配される。
- 1957
- マレー半島南部のペナンとマラッカが「マラヤ連邦」として独立。
- 1949
- インドネシアの独立が国際的に認められる。
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