サンジャヤ朝
Sanjaya   8世紀前半〜11世紀半ば
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 ジャワ島中部に君臨した古代インドネシアの王朝。古代マタラーム王国メダン王国などを統治した。
 ヒンドゥー教徒で、多くの寺院を残す。
 この王朝下でジャワ族が順調に発展。

 元来は南インドからやってきたシヴァ信仰の人々が王朝を開く。

8世紀前半
 中央ジャワ南部マタラーム地方を支配(マタラーム王国)。
 メラピ山南方Wukir山麓のチャンガル(Canggal)にサンジャヤ王の碑(732年)があり、王朝名もこれに由来する。

8世紀後半〜9世紀前半
 隣接した地域に大乗仏教を奉ずるシャイレーンドラ朝が出現、周辺国へ遠征、ボロブドゥール寺院を建設するなど全盛期を迎える。
 シャイレーンドラ朝の勢いに圧倒され、サンジャヤ朝の発展は止まる。

9世紀後半〜929
 シャイレーンドラ朝が衰退、サンジャヤ朝はマタラーム地方で支配を復活し、プランバナン寺院群を建設するなど繁栄。
 バリトゥン王(位899〜910)の碑によると、王国はジャワ東部も支配し、東岸スラバヤ地方のメダン(Medang)に都を築いた。

920年代
 メラピ山の大噴火で、古代マタラーム王国は崩壊。サンジャヤ王家は東のメダンへ移る。

929
 シンドク王(位929〜947)、メダン王国開く。
 王室はヴィシュヌ信仰に。

991〜1016
 ダルマヴァンシャ(Dharmawangsa)王の治世。メダン王国の最盛期でシュリーヴィジャヤ王国を攻撃。

1016
 シュリーヴィジャヤからの報復。ダルマヴァンシャは死に、メダン王国は崩壊。

1019〜1042
 その女婿エルランガが国を復興し、バリ島を含む東ジャワ一帯を統一。
 息子たちに国を二分して隠居(1042)。
  • ジャンガラ国(1049-1050)……スラバヤ地方。
  • パンジャル国(クディリ朝)……繁栄し、ジャンガラ国を併合。

1050〜1222  クディリ朝
 サンジャヤ朝の遠縁と言える。
 クディリ朝がシンガサリ朝(1222-1292)に滅ぼされた時、連綿と続いたサンジャヤ王統も途絶えた。

王名表

マタラーム王国
  1. Rakai Mataram Sang Ratu Sanjaya……碑文(732)を残す。
  2. Sri Maharaja Rakai Panangkaran
  3. Sri Maharaja Rakai Panunggalan
  4. Sri Maharaja Rakai Warak
  5. Sri Maharaja Rakai Garung
  6. Sri Maharaja Rakai Pikatan……856年にヒンドゥー寺院群プランバナンの代表建築であるシヴァ神殿「ロロ・ジョングラン」を建設したとされる。
  7. Sri Maharaja Rakai Kayu Wangi
  8. Sri Maharaja Rakai Watuhumalang
  9. Sri Maharaja Watukura Dyah Balitung……碑文によればメダンに都建設。
  10. Wawa (924-929)
  11. Sri Maharaja Rakai Hino Sri Isana Wikramadharmotunggadewa (929-947)……Empu Sindok。Wawa王の時Mahamantri Hinoとして仕え、929年以降メダンに遷都。
  12. Sri Dharmawangsa Teguh Anantakramatunggadewa (991-1016)……ダルマヴァンシャ王。シュリーヴィジャヤを攻撃、報復を受け死亡。
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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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