シャイレーンドラ朝はどこからやってきた?
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 8世紀半ばに突如、中部ジャワに出現し、周辺諸国を侵略し、ボロブドゥール遺跡などの仏教遺跡を残した謎の王朝シャイレーンドラ
 一体彼らはどこからやってきたのだろうか?

 シャイレーンドラ朝が登場するのは767年の安南(北ベトナム)侵入からで、最盛期はわずか100年弱。9世紀後半には歴史から姿を消している。
 ところで、シャイレーンドラ朝と存続期間が奇妙に一致する国がある。唐の史料に記されている訶陵という国がそれである。

 この国はジャワに栄えた仏教国で、中国僧の間では東南アジアの仏教の中心のように考えられていた。そして、768年〜870年の間、中国へ朝貢を行っている。これはちょうど、シャイレーンドラ朝の最盛期とぴったり一致するではないか。
 しかも、プカロンガン州ソジョメルトで発見された当時の古マレー語碑文(7世紀)には、シヴァ教を奉じていた「サレンドラ」王家のことが記録されているのである。この「サレンドラ」こそが後の「シャイレーンドラ」だとする推定は多い。

 よろしい。「訶陵」=シャイレーンドラ朝、と考えてみよう。
 では、その訶陵国はどこからやってきたか?

 訶陵国の存在は、すでに7世紀前半から中国に知られていた。この国は627〜695年にかけて唐に使者を送っている。
 では、その位置はどこか?
 沖田浩三説では、「訶陵」=「カルン」であり、今はこれに接頭辞と接尾辞のついて「プカロンガン」になっていると考える。プカロンガンは中部ジャワ北岸にある実際の地名である。

 中部ジャワ北岸にあった仏教国、訶陵。ところがこの国の中国への朝貢は、695年を最後に約70年間も中断されるのである。
 何があったのか?

 一つの仮説は、シャイレーンドラ朝訶陵国が、680年代に行われたシュリーヴィジャヤ王国によるジャワ遠征の結果、一時的に征服されてしまったたのではないか、と考える(生田滋説)。
 これを裏付けるように、訶陵国の唐への朝貢は695年(または670年頃?)を最後に一旦途絶し、代わって695〜742年の間シュリーヴィジャヤ王国が入貢を始めるのである。
 興隆しつつあったジャワ中部の新勢力は、さらに急速に立ち現れたライヴァル、シュリーヴィジャヤによって頭を押さえつけられてしまった、というわけである。

 もう一つの仮説は、プカロンガンの背後に位置するディエン高原のヒンドゥー遺跡群を鍵とするものだ。
 この遺跡は7世紀後半〜8世紀に建てられたと考えられている。ちょうど訶陵国の朝貢が途絶えた時期が含まれる。
 ということは、ヒンドゥー教を信仰する別の勢力がディエン高原に勃興し(あるいはそこまで進出し)、訶陵国を服属させたとも考えられるのである。そのヒンドゥー勢力とは、もしかすると、のちにプランバナンにヒンドゥー遺跡群を残すサンジャヤ朝かも知れない。

 いずれにせよ、訶陵国=シャイレーンドラ朝は奇跡的な復興を見せる。それを示す記事が中国史料に残されている。
「8世紀中頃(742年と755年の間のこととされる)、訶陵の王、吉延(サンスクリット名「ガジャヤナ」の音訳)は、都を闍婆から、東方の婆露伽斯城に遷し、闍婆城と名付けた。」
 これは、港湾都市プカロンガンの支配者だったシャイレーンドラ朝が、この頃サンジャヤ朝を圧倒して中部ジャワに進出したことを意味しているのではないだろうか。

 間もなく、767年からシャイレーンドラ朝の対外膨張が始まり、768年からは「訶陵」の朝貢が再開している。そして、778年の碑文には「サンジャヤ王」が「シャイレーンドラ朝」に服属していることが明記されている。

   「訶陵」=シャイレーンドラと考えることで、シャイレーンドラ朝の初期の歴史----ジャワ北岸の貿易港の支配者で大乗仏教を保護した----に迫ってみた。
 ここでもう少し想像をたくましくしてみよう。

 「シャイレーンドラ」とはサンスクリットで「山の王」の意味だ。
 ところで東南アジアにはもう一つ、「山の王」を意味する国号を持った国があった。現カンボジアに当たる「扶南(ふなん)」である。
 扶南でも大乗仏教が広く行われた。ところが6世紀後半以来シヴァ神を奉ずるクメール人の「真臘(しんろう)」に圧迫され、7世紀前半には滅ぼされてしまう。
 ここで、扶南王家の中に、7世紀の早いうちにジャワ北岸に逃れた一族がいたと考えてみよう。彼らは海上貿易を支配しつつ、大乗仏教を奉じ、故国と同じ国号「山の王」を掲げたのではないだろうか。
 実際、シャイレーンドラ朝はクメール王国を目の敵にしていた感があり、一時期カンボジアを支配下に置いていた。クメール王国の最盛期を現出するアンコール朝は、ジャワから帰国したクメールの王子が「ジャワの支配を断ち切る」と宣言し、新生国家として誕生したのである。

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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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