8世紀半ばから約1世紀、中部ジャワで強盛を誇った古代インドネシアの王朝。
大乗仏教を信仰し、ボロブドゥール遺跡など多くの仏寺を建立、ジャワ族発展の基礎を築く。
9世紀中頃にはスマトラのシュリーヴィジャヤ王国に合体吸収される。
- 8世紀中頃
- ジャワ島中部に強大な統一勢力として突如出現、周辺各国へ侵攻を開始する。
- 767 「崑崙闍婆の賊」がベトナム北部に侵入、放火・掠奪を働く。
- 774 「死の如く恐ろしく、悪性で船に乗ってきた人々」がチャンパーを襲撃、シヴァ神殿を掠奪。
- 787 ジャワ軍がチャンパーを襲う。
- 同じ頃 ジャワ軍はカンボジア(水真臘)の都をも攻撃、クメール人の王を殺害。
- さらに、現在のマダガスカル島民(インドネシア系)の先祖が東アフリカに辿り着いたのもこの頃と言われる。
- 780〜792
- 大乗仏教の大伽藍、ボロブドゥール寺院の建設。本体完成後も833年まで増改築が続けられた。
- 775以前−782 ヴィシュヌ (ダルマトゥンガ) 王
- 最も盛んに対外進出を行った。
767年ベトナム北部に侵入、774年にはチャンパーを襲撃。
780年、ボロブドゥール造営開始。
- 782−812 インドラ (サングラーマグナンジャヤ) 王
- 787年、チャンパーを攻撃。またカンボジア(水真臘)首都も攻撃、その王を殺害。
792年、ボロブドゥール本体の建設、一応終了。
- 812−832 サマラトゥンガ王
- 8世紀に入るとシャイレンドラ朝の勢力は次第に衰え、サンジャヤ朝の影響力が増してくる。
824年、ボロブドゥール工事の再開 (〜833まで)
- 832
- サマラトゥンガ王が亡くなると、実権はその姉プラーモーダヴァルダニーとその夫に移るが、この夫こそはサンジャヤ家のラカイ・ピカタン王であり、権力は次第にサンジャヤ家に移ってゆく。
- 838?−c.851? ラカイ・ピカタン王
- ピカタン王死後、その遺骨はサンジャヤ朝の王として、856年頃から造営の始まったプランバナン遺跡のシヴァ神殿 (ロロ・ジョングラン) の地下に埋葬される。
- 856
- シャイレンドラ王家で内紛が起こり、後継争いに敗れた王子の一人は、スマトラのシュリーヴィジャヤ王国へ逃れ、その王女と結婚。
こうしてシャイレンドラ王家はシュリーヴィジャヤの王統と合体した(インドの史料でもシュリーヴィジャヤ国はシャイレンドラ朝としてある)。
但しシャイレンドラ家のシュリーヴィジャヤ支配は長くは続かなかった。
こうして、シャイレンドラ王家は9世紀前半のうちに衰え、後半には姿を消してしまう。
シャイレンドラ朝の没落後、中央ジャワ南部のマタラーム地方ではサンジャヤ朝が強大化し、大尖塔ロロ・ジョングランなどの多くのヒンドゥー教建築をプランバナン遺跡に残す。
=COLUMN= シャイレーンドラ朝はどこからやってきた?
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