マジャパヒト王国に行ってみよう! |
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ようこそ、14世紀の東ジャワへ! ここは有名なマジャパヒト王国です。 でも、道行く人々に、「ここはマジャパヒト王国かね?」と日本語的な発音でたずねても通じません。ジャワ語では a は[o]に近くなり、h は発音されず、語尾の -p、-t もほとんど聞こえるか聞こえないか程度の音になるので、Majapahit は「モジョパイッ」と聞こえます。
では、そこを歩いている腰に布を巻いた商人らしき男に聞いてみましょう。
やあ、トロウラン王城が見えてきました。赤煉瓦で築かれた高さ10m以上の壁で囲われた、広大な城塞都市です。広さは100平方kmはあると言われます。
さて、水浴びして体を清めたところで、少し奥の霊場に進んでみましょう。 その入り口には、チャンディ・バジャンラトゥ (Candi Bajangratu) が建っています。
もっと近付いて眺めてみましょう。
結構、精密なレリーフ (浮彫) がしてあるではないですか。カーラ(鬼面)もなかなか見事です。 さて、このチャンディ・バジャンラトゥは、聖なる建物ないしは高貴な人の住居の入り口だったと考えられているのですが、実際このチャンディより東の方面には、いくつもの寺院建築が見られ、宗教的な聖地だった可能性があります。 その一つが、チャンディ・ブラウ (Candi Berahu) です。
正面は建築当初の通り復元され、幾何学的な美しさを誇っていますが、少し脇に回り込むと、また異なった表情を見せてくれます。
後ろの、崩れかけた煉瓦が、諸行無常の歴史を感じさせませんか? もう少し近付いてみましょうか。
うーん、私はこのお寺、好きですねえ。 中部ジャワやシンガサリ朝のチャンディは安山岩を材料に使っているので黒っぽいですが、トロウラン周辺のチャンディは赤煉瓦を用いているため、その赤い色が印象的です。 今度は斜め後ろまで行って振り返ってみましょう。
気に入ると、いつまでも見ていたくなります。ストーカーみたいですね。 背面の古い崩れかけた壁は歴史のロマンを感じさせます。後ろ髪を引かれるようですが、そろそろチャンディ・ブラウとお別れしましょう。
ブラウ寺院から南方に向かうと王宮と市場があります。現在は跡形もありませんが、この当時は宮殿にかの有名な国王ハヤム・ウルックと鉄血宰相ガジャ・マダのコンビが住んでいました。
彼の活躍で、莫大な貢ぎ物や交易品がマジャパヒトの首都に集まるようになり、王城には豊かな富が蓄えられました。 例えば、マジャパイトでは金細工が盛んでした。王都の一角には金細工の職人街が生まれ、現在まで「クマサン (Kemasan) 」 (←「mas=金」より) という地名が残るほどです。しかし、金そのものは東ジャワでは採れません。すべてスマトラ島、カリマンタン島、スラウェシ島などから運ばれたものでした。 ほかにも明の陶磁器や神像、仏像、テラコッタなどが大量に貯蔵されていたようです。
あ、さっきの腰布の商人がやってきました。
うん、こりゃなかなかいける。柔らかく煮込まれた牛肉のエキスが汁に行き渡って、うまい! (しかし、ラウォンて14世紀にもあったのか?) さて、食べたらちゃんとお金を払わなければいけませんね。えっと、マジャパヒトのお金は……? 「これでござる」
あ、これがマジャパヒトのコインですか? 何か、中国の貨幣に似てる…… 「ゴドックという銅銭でござる。ワヤン (影絵芝居) の登場人物を刻印したものもござるでござる」 なるほど…… 「時にご客人。もしや、銭をお持ちでないのでは……」 まさか。ちゃんとインドネシアの5万ルピア札もありますよ。 「紙ではござらぬか」 あ、じゃ、これ、もう流行遅れの特売たまごっちあげるから。 「ふむ。これは。むむむ。面妖な」 今のうちにマジャパヒトの王都トロウランを去ることにしましょう。 トロウランから南下し、マラン市の北方約15kmほどのアルジュナ山のふもとに差しかかると、ほら、チャンディ・シンゴサリ (Candi Singosari) が見えてきました。
これは前王朝シンガサリ朝の最後の王クルタナガラの霊廟ですが、建てたのはガジャ・マダです。大国家建設の大願を達成したガジャ・マダが、その記念に1360年頃この美しい神殿を建てたのです。
さらにずーっと南に下ると、ブリタール市の北東12kmに位置するチャンディ・パナタラン (Candi Panataran) に至ります。トロウランがマジャパヒト王国の政治・経済のセンターであるのに対し、ここは宗教と信仰の中心地なのです。
左手前の台座 (失われた寺院の?) の向こうに見えるのはタンガル堂。その背後に隠れてナーガ堂があり、一番奥に見えているのが本殿のヴィシュヌ神殿です。 まずタンガル堂に近付いてみましょう。
「タンガル(日付)堂」と呼ばれるゆえんは、入り口に1369年という年代を示す碑文が付いているためです。 入り口のカーラ(鬼面)は、下あご付きの典型的東ジャワ・スタイル。
その裏には「ナーガ(蛇)堂」があります。 その名の通り周囲を蛇がうねり、天女が持ち上げています。
はて、この天女、なぜ大蛇を支えてやっているのでしょう?
さて、最も奥にある本殿は、パナタランのチャンディ群の中でもハイライト的存在です。
階段で登ってみましょう。 第2基壇と第3基壇が見えます。 第2基壇には古代ジャワの物語『クリシュナヤーナ』が彫られています。
それにしても観光客の多いこと。日曜日だったからなあ〜。 もう一階上がると、第3基壇が目の前に現れます。
お、神鳥ガルーダ! 第3基壇の上に上がると、とりあえずの頂上です。振り返って、チャンディ・パナタランを上から見渡しておきましょう。
右手前がナーガ堂、中央向こうの塔がタンガル堂に当たります。
14世紀に極盛を誇ったマジャパヒト王国も、15世紀になるとマレー半島のマラッカ王国に通商の主導権を奪われ、さらに1480年代以降はジャワ島北岸に成立したイスラム教港市国家群に激しく領土を侵食されてゆきます。
マジャパヒトも滅んだことですし、我々もそろそろ現代へ戻るとしましょう。
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