スマトラ
Sumatera (Sumatra)
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 インドネシアの大スンダ列島最大の島。
 ほぼ中央部を赤道が走り、高温多雨で森林が豊富。
  • 西海岸沿い……火山活動を伴うバリサン山脈が走る。最高点はクリンチ山(3805m)。
  • 中部高原……スマトラの人口の集中地
  • 東海岸……大部分が湿原で、人口希薄

 マラッカ海峡に臨み東西交通の要点にあたるため、古代からパレンバンなどに諸王国が興った。
 古くはヒンドゥー教、仏教が優勢だったが、14世紀初めからイスラム勢力が進出した。
 16世紀以後ポルトガル、英国、オランダが進出。アチェ戦争(1873〜1914)後、オランダの支配権が確立した。
 インドネシア独立後,その経済開発の一中心となっている。ジャワ島の人口分散の一環として、1970年代以降200万人以上がスマトラに移住。

 現在の住民構成は複雑で,アチェ、バタック、ミナンカバウ、マレー人などが多い。大半はイスラム教徒。


7世紀後半
 インド系商人の植民から発展した二つの町が優勢
  • 南東部のパレンバン……シュリーヴィジャヤ王国を築き、マレー半島西岸のケダーをも服属さす。
  • 中南部のジャンビ……マラユ王国を築いていたが、シュリーヴィジャヤに支配されていた。

宋代
ジャンビが興隆。またスマトラにやってくるイスラム教徒の海上発展がシュリーヴィジャヤの隆盛に大きく関与。

元代
シンガサリ王国(ジャワ)のクリタナガラ王がスマトラ南部を攻略。

13世紀
イスラム化が進む。

13世紀末〜14世紀
北端のサムドゥラ・パサイ、交易で大いに栄える。

14世紀半ば
マジャパヒト王国が南部パレンバン方面を侵略。

15世紀
鄭和(てい・わ)による海賊平定。

16世紀初め
パセイ(パサイ)、ペデルが盛ん → やがて西北端のアチェ王国が強国に。ポルトガルと争い、マラッカを攻撃。
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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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