シンガサリ朝寺院めぐり
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 13世紀の東ジャワに君臨したシンガサリ朝の支配者たちは、仏教ヒンドゥー教が融合した一種の密教を信仰していました。だからそのお墓(霊廟)であるチャンディ(寺院・神殿)もおどろおどろしいムードに満ちています。
 それでは、シンガサリ朝時代の雰囲気を味わうため、神殿めぐりと参りましょう。
伝・王妃デデス

 シンガサリ朝を開いたケン・アンロクはやくざ出身で、トゥマーペル地方の代官トゥングル・アムトゥンに仕えていましたが、その妻ケン・デデス(ドゥドゥス)に横恋慕し、謀略を巡らせて代官アムトゥンを殺し、その地位と妻を一度に手に入れます。

 さて、ジャカルタの国立博物館の2階の秘宝室入り口には、左のプラジュナパーラミター (般若波羅蜜) 菩薩像が展示してありますが、これは1300年頃の作で、ケン・デデスをたかどったものと言われています。
 冷たい美しさを持つこのジャワ彫刻の傑作を見ていると、アンロクに代官殺害をそそのかしたのは、むしろデデスの方ではなかったかとも思えてきます。
 実際、オランダの歴史家フレッケは「果たしてデデスの方がいつも受け身でアンロクの言いなりに動いていたのかどうか、疑わしい」と書いています。

 おっと、いきなり寺院ではありませんでしたね。失礼。


 アンロクは1222年にクディリ朝を滅ぼして、トゥマーペル(シンガサリ)で王位につきました。
 しかし、暗殺された代官の息子はその5年後、アンロクを殺して自ら王となります。それが第2代のアヌーシャパティ (位1227〜1248) です。
 アヌーシャパティも1248年、アンロクの子トージャヤに殺されますが、そのトージャヤも数カ月に二人の甥に殺され、王位はアヌーシャパティの子ヴィシュヌヴァルダナ (位1248〜1268) に受け継がれます。
 ヴィシュヌヴァルダナは1260年、父アヌーシャパティの霊を弔うために、現在のマラン市東方、ブロモ山に続く山麓にチャンディ・キダル (Candi Kidal) を建てました。


チャンディ・キダル (42KB) 読込に時間がかかります。ごめんなさい。
チャンディ・キダル 

 本尊はシヴァ神だったのですが、植民地時代にオランダが奪い去り、現在はアムステルダムの王立熱帯研究所に置いてあると言われます。

 裏へ回ってみましょう。
チャンディ・キダル背面 (47KB) お、重い! ちょっとご辛抱を……
チャンディ・キダル背面 

 下にはシヴァ神の乗り物である霊鳥ガルーダの浮彫があります(小さくて見にくくて済みません!)。古くから知られたレリーフです。チャンディ・ベラハンで発見されたシヴァ神の姿をしたエルランガ王の像も、同じ姿形のガルーダに乗っています。

 しかし、上の鬼面(カーラ)の鬼気迫る表情の方が、見る者を惹き付けると思いませんか?
 この頃は、仏教もヒンドゥー教も呪術化し、密教へと姿を変えつつある時代でした。従って、カーラのような不気味な鬼神たちの方が、時代の雰囲気をよく表しています。
(少なくとも、私はそう思う!)



* 「キダル (kidal)」とはジャワ語で「左利き」の意味です。ジャワ人にとって左手は排泄に使う不浄の手。その左手で食事したり他人に触れたりする「左利き」は、ジャワ人の世界では良くない意味を持っています。ジャワはサウスポーには暮らしづらい社会です。この寺院になぜそんな名前が付いたかは作者には分かりません。
 今度はカーラをよく見てみましょう。
 前へ戻って階段を上り、下から見上げてみます。

チャンディ・キダル前面のカーラ (30KB)
チャンディ・キダル前面のカーラ 

 うーむ、こわい。
 ところでこのカーラ(鬼面)、中部ジャワのボロブドゥールプランバナンなどと異なる特徴を持っていることにお気づきになりましたか? そう、東ジャワのチャンディのカーラには、下あごが付いているんです。
 モジョクルトの国立博物館には、カーラばかりが並んでいます。

東ジャワのカーラ (32KB)
東ジャワのカーラ 
モジョクルト博物館・蔵

 やはり下あご付きが多いですね。

 1268年、ヴィシュヌヴァルダナが亡くなると、その子クルタナガラ (位1269〜1292) が第5代国王となります。
 彼は1280年頃、仏教寺院チャンディ・ジャゴ (Candi Jago) を建て、父ヴィシュヌヴァルダナの遺骨の半分を菩薩の化身として収めました。
 (残りの半分はチャンディ・ムレリ神殿にシヴァ神の化身として埋葬されています。)

 チャンディ・ジャゴは、チャンディ・キダルからそう遠くない場所にあります。行ってみましょう。

チャンディ・ジャゴ (32KB)
チャンディ・ジャゴ

 チャンディ・ジャゴは、1280年に建てられた後、マジャパヒト時代の1343年に改修されています。
 現在は民家に挟まれ、近所の児童公園のようになっています。
 鬼面カーラが無造作にごろんと置いてあります。

チャンディ・ジャゴのカーラ (26KB)
チャンディ・ジャゴのカーラ

 もともとは寺院に付属していたのでしょう。

 もっと近付いてみましょう。

チャンディ・ジャゴ近影 (41KB) 写真表示まで少々お待ちを……
チャンディ・ジャゴ近影

 中米マヤのピラミッドに似た特異な構造を示しています。これに似たものに中部ジャワのスクー寺院があります。
 ところで、寺院の表面に細かな浮彫がなされているのが見えるでしょうか。
 そう、この寺院はこの精細なレリーフで有名なのです。
 側面に近付いてレリーフを見てみましょう。

チャンディ・ジャゴの浮彫 (48KB) うーん、この画像も重いなあ。
チャンディ・ジャゴの浮彫

 これらのレリーフは、1つの仏教説話と3つのとヒンドゥー教の物語を表しています。
 チャンディ・ジャゴは元来、仏教の霊廟で、本尊も仏陀なのですが、この当時の仏教はヒンドゥー教との混淆が見られ、このチャンディでも仏教とヒンドゥー教の物語が同時に描かれたのです。

 さて、ジャゴ寺院を建てたクルタナガラは、シンガサリ朝の最盛期を築き、英主として誉め讃えられますが、1292年にクディリ朝の遺臣に攻め滅ぼされ、シンガサリ朝は滅亡してしまいます。
 その後、クルタナガラの女婿ラーデン・ヴィジャヤが新たに王朝を開き、マジャパヒト王国が始まります。
 クルタナガラ王の霊廟は、マジャパヒト時代に入って建てられました。
 その一つはマラン市の北40kmにあるチャンディ・ジャヴィですが、その後ガジャ・マダは、大国家建設の満願成就として1360年頃マラン市の北方約15km、アルジュナ山のふもとにもう一つのクルタナガラ廟を建てました。それがチャンディ・シンゴサリ (Candi Singosari) です。

チャンディ・シンゴサリ (31KB)
チャンディ・シンゴサリ

 これは神殿を右斜め後ろから見た光景ですが、いくつもの入り口のように見えるのは、それぞれ神像を収めた部屋です。
 正面にはリンガシヴァ神の男根)を祀った部屋があり、その周囲に五つの部屋がありますが、ほとんどの像はオランダに持ち去られてしまい、わずかに正面から向かって右側 (東南側) の部屋に、知恵の神様アガスティアの像が残るのみです。

シンゴサリ神殿のアガスティア像 (20KB)
シンゴサリ神殿のアガスティア像

 何かそこらへんの太った父さんみたいで、あまり神々しくはありませんね。

 さて、チャンディ・シンゴサリにはもう一つ有名な見所がありました。身の丈4mにもなる巨大な門番ドヴァラパーラ神の石像です。遺跡ガイドブックにも写真が載っていました。
 ところが今回 (1999年7月) 訪れた時には、ない、ない、どこにもない! そんな巨大なものがどこかになくなるわけもないし……
 ガイド氏曰く「インドネシアでは、昨日まであった遺跡が、今日はどこかへ持って行かれる、ということはしょっちゅうです。驚くには当たりません」とすましています。はあ〜、そんなもんですかねえ……

 というわけで、時代はもうマジャパヒト王国の時代となり、シンガサリ朝お寺ツァーはこれにて解散です。
 皆様、お付き合い下さいましてどうもありがとうございました。


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©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/07/18

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