シンガサリ朝寺院めぐり |
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13世紀の東ジャワに君臨したシンガサリ朝の支配者たちは、仏教とヒンドゥー教が融合した一種の密教を信仰していました。だからそのお墓(霊廟)であるチャンディ(寺院・神殿)もおどろおどろしいムードに満ちています。 それでは、シンガサリ朝時代の雰囲気を味わうため、神殿めぐりと参りましょう。 シンガサリ朝を開いたケン・アンロクはやくざ出身で、トゥマーペル地方の代官トゥングル・アムトゥンに仕えていましたが、その妻ケン・デデス(ドゥドゥス)に横恋慕し、謀略を巡らせて代官アムトゥンを殺し、その地位と妻を一度に手に入れます。
さて、ジャカルタの国立博物館の2階の秘宝室入り口には、左のプラジュナパーラミター (般若波羅蜜) 菩薩像が展示してありますが、これは1300年頃の作で、ケン・デデスをたかどったものと言われています。 おっと、いきなり寺院ではありませんでしたね。失礼。
本尊はシヴァ神だったのですが、植民地時代にオランダが奪い去り、現在はアムステルダムの王立熱帯研究所に置いてあると言われます。 裏へ回ってみましょう。
下にはシヴァ神の乗り物である霊鳥ガルーダの浮彫があります(小さくて見にくくて済みません!)。古くから知られたレリーフです。チャンディ・ベラハンで発見されたシヴァ神の姿をしたエルランガ王の像も、同じ姿形のガルーダに乗っています。
しかし、上の鬼面(カーラ)の鬼気迫る表情の方が、見る者を惹き付けると思いませんか?
うーむ、こわい。 ところでこのカーラ(鬼面)、中部ジャワのボロブドゥールやプランバナンなどと異なる特徴を持っていることにお気づきになりましたか? そう、東ジャワのチャンディのカーラには、下あごが付いているんです。 モジョクルトの国立博物館には、カーラばかりが並んでいます。
やはり下あご付きが多いですね。
1268年、ヴィシュヌヴァルダナが亡くなると、その子クルタナガラ (位1269〜1292) が第5代国王となります。 チャンディ・ジャゴは、チャンディ・キダルからそう遠くない場所にあります。行ってみましょう。
チャンディ・ジャゴは、1280年に建てられた後、マジャパヒト時代の1343年に改修されています。 現在は民家に挟まれ、近所の児童公園のようになっています。 鬼面カーラが無造作にごろんと置いてあります。
もともとは寺院に付属していたのでしょう。 もっと近付いてみましょう。
中米マヤのピラミッドに似た特異な構造を示しています。これに似たものに中部ジャワのスクー寺院があります。 ところで、寺院の表面に細かな浮彫がなされているのが見えるでしょうか。 そう、この寺院はこの精細なレリーフで有名なのです。 側面に近付いてレリーフを見てみましょう。
これらのレリーフは、1つの仏教説話と3つのとヒンドゥー教の物語を表しています。 チャンディ・ジャゴは元来、仏教の霊廟で、本尊も仏陀なのですが、この当時の仏教はヒンドゥー教との混淆が見られ、このチャンディでも仏教とヒンドゥー教の物語が同時に描かれたのです。
さて、ジャゴ寺院を建てたクルタナガラは、シンガサリ朝の最盛期を築き、英主として誉め讃えられますが、1292年にクディリ朝の遺臣に攻め滅ぼされ、シンガサリ朝は滅亡してしまいます。
これは神殿を右斜め後ろから見た光景ですが、いくつもの入り口のように見えるのは、それぞれ神像を収めた部屋です。 正面にはリンガ (シヴァ神の男根)を祀った部屋があり、その周囲に五つの部屋がありますが、ほとんどの像はオランダに持ち去られてしまい、わずかに正面から向かって右側 (東南側) の部屋に、知恵の神様アガスティアの像が残るのみです。
何かそこらへんの太った父さんみたいで、あまり神々しくはありませんね。
さて、チャンディ・シンゴサリにはもう一つ有名な見所がありました。身の丈4mにもなる巨大な門番ドヴァラパーラ神の石像です。遺跡ガイドブックにも写真が載っていました。
というわけで、時代はもうマジャパヒト王国の時代となり、シンガサリ朝お寺ツァーはこれにて解散です。
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